10分の1大和建造の過程では数知れぬ難問が持ち上がったが、上部を覆う木甲板をいかにして再現するか も大きな問題の一つだ。 日本の戦艦の甲板は、歩きやすさと甲板下の諸室の保温などの理由から、帆船時代からの伝統的な木甲板 を採用していた。使用する木材は通常はチーク材だったが、「長門」、「大和」、「武蔵」、には台湾ヒノキが使わ れた。理由はチーク材が不足しただめだろうと推測される。 「最初、甲板はベニヤ合板を張って墨で線を引けばいいだろうと思っていました。しかし、精度を追及すれば するほど、それでは意味がない、と」 ではどうするか。山本さんがこの難問の解決を託したのは、山本造船最年長の職人、大下敏明さんだった。 大下さんは終戦間近の14歳のころ、呉海軍工廠で見習工として働き、戦後は船大工のもとで奉公した。 「師匠は土佐出身の人で、腕は一流でした。3年間はそこで漁船ばかりを、年季があけた後は造船所に就職 して100〜200トンクラスの船を造っていました」 鉄の船はもちろん、木造船のことも熟知している木下さんは、10分の1大和の木甲板を「昔のままのやり方 で張ろう」と、即座に思ったそうだ。 台湾ヒノキの美しい木目を10分の1のスケールで見せるため、素材は木目の細かいタモ材に決めた。それを 縦1.5センチ、横1.2センチ、長さ60センチの板にして1枚ずつ張る。使った板はなんと4000枚にものぼったという。 3ヶ月間、一人で黙々と張り続けた。大下さんの仕事には図面がない。経験に基づく勘だけが頼りの作業は、 誰にも手伝えなかったのだ。 「ほら、表面がうねるようにカーブしているでしょう」 大下さんが言う通り、甲板は平らではなかった。水はけを良くするめに左右に下り傾斜がついている。また 中央付近は隆起している。さらに船上は曲線だらけ。そのカーブにそって巧みな木組みが施されていることに も気づく。 「曲線の多い甲板は、ただ端から張っていくだけでは継ぎ目がばらばらになってしまう。どんなに カーブがあっても、あたかも同じ長さの板を張ったかのようにまっすぐな継ぎ目にしなくてはなりません」 職人技の妙はほかにもある。「板はすべて四方を面取りしてあり、接合部分に縄のようにしたまきは材を入れ ます。これで下に水が漏らないようにするわけです。それから、主砲のある砲塔の周囲は丸いでしょ。普通は 板をカーブに沿って切って張ることを考えるけれど、それではやはり水が下に入り込んでしまう。だから、砲塔 の周囲を帯のような板で囲み、ここにもまきは材を入れる。そういうことも忠実に再現しました」 そのほか、喫水マークの書き込みなどにも大下さんの技が光る。数字を書くという単純な作業のように見え るが、えぐれたり丸くふくらんだりと複雑な形状をなす船体に、まっすぐにみえる数字を書き込むことは、特殊 な技術なくしては不可能なのだ。 「墨つぼ一個でにらみを出してね。見習いのころからずっとやってきた方法です」 持てる技術すべてをつぎ込んだ大和を前に、大下さんは満足そうに語った。